愛は知識の結果である
私はエンシェント。
今回は、クリスマスも近いので、
愛と知識の関係について話そう。
愛し愛される事が全てと、かなりの所で目にする。
愛は語れば語るほど、無為に落ちてしまう。
愛は必要ではあるが、愛は始まりに過ぎない。
私のことは信用しなくてよろしい。
ただ、事実を述べよう。
ピリポの福音書にこうある。
いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
しかし、その内、最も大いなるものは愛である。
しかし、信仰と希望と愛より大いなるものは知識である。
愛はむしろ知識の結果である。
今私達が目にしている福音書は、かつてあったこの後半部分が抜け落ちている。
つまりは、愛を信仰し、神に疑問を持たず、学ぶなと言うことだ。
元々皆意識体であり、それを失うことは決して無い。
これも知識である。
愛の前に、不死の存在である自分自身がある。
これも知識である。
そういった事は、常に起きている。
批判に聞こえるかも知れないが、これも事実である。
愛を感じるには、相対する対象が必要だ。
場所と存在がなければ、愛を感じることは出来ない。
何を真実とするか、それも自由だ。
今回はここまで。