宇宙 スピリチュアル あの世とこの世を語る エンシェント

日常にあるあの世とこの世、スピリチュアルを伝えていく。

普段の時こそ、瞑想出来るかがこの世界に来た意味

私はエンシェント。

 

今回は、瞑想について話そう。

 

瞑想と言うと、あぐらを組んで、

 

雑念を消すと言うのが思う姿だろうか。

 

残念ながら、それは全て間違っている。

 

ベストな環境を整え、周りを静かにしても、

 

思いは駆け巡る。

 

世の中には、たった数秒、

 

テレビやラジオ、今ではスマホを消し、

 

ただ存在する、

 

それをせず一生を終える人は多い。

 

整った修行場で、瞑想のフリをしても、

 

その先へは行けない。

 

今ここで実践することが、

 

この世に生まれて来た意味である。

 

有象無象、

 

自分の息や心臓、

 

環境全てを内包し、

 

会話している時、移動している時、

 

そして何かあって意識の沸点が上がった時、

 

明鏡止水で居られるか、

 

其れが悟りであり、瞑想である。

 

私たちは今ここにいる。

 

瞑想が完成した時、もうこの場に用は無く、

 

卒業する。

 

瞑想で一瞬向こう側へ繋がるのは

 

そう言った意味もある。

 

タバコを吸っている時。

 

沢山食べている時。

 

スマホで書き込みしている時。

 

遊んでいる時。

 

その人がワクワクを超えて、感覚で、

 

フラットでいられる時、それを瞑想の先、

 

悟りと言う。

 

科学的には、θ(シータ)であろうか。

 

言い方はなんでもいい。

 

出来ないからここにいる。

 

永遠の落伍者と言われるのは其処にある。

 

何か有れば意識は揺れる。

 

その時戻せるかどうか。

 

怒ってもいい、泣いていい。

 

差を感じて振幅を戻す。

 

其れが瞑想である。

 

差のない所で出来るのは瞑想でも何でもない。

 

静かな所でそれっぽくしてみて、

 

どの辺りを目指すのかを確認するのはいい。

 

普通の生活で、皆結構瞑想している。

 

思い巡らす相手は、ハイヤーセルフであり、

 

見えない世界である。

 

音読の声が、ある特定の人格な場合は多い。

 

音読の声に、耳を傾けると、

 

瞑想の意味も分かってくる。

 

答えは目の前に有り、

 

元々出来ている事を知る事は出来ない。

 

それを楽しむ。

 

瞑想が楽しくないと

 

誰が言い出したのか。

 

偉い宗教家がそう言ったからか?

 

この世に私達でないものはない。

 

楽しむ事が瞑想だって勿論ある。

 

決めるのは貴方方だ。

 

今回はここまで。