宇宙 スピリチュアル あの世とこの世を語る エンシェント

日常にあるあの世とこの世、スピリチュアルを伝えていく。

見えたり聞こえたりする人が、偉人とは限らない

私はエンシェント。

 

今回は、意識体の見え方について話そう。

 

この世では、

 

見え無い世界が見え無い世界である。

 

これは偶然では無い。

 

そういった環境は、

 

今居る意識体と、

 

経験したい内容により左右される。

 

あなたは、

 

最近外を裸で駆け回った事は無いと思う。

 

小さい頃は、

 

そういった常識を知らないので、

 

勝手に走り回り、

 

躾として、この世の常識を段々と覚えていく。

 

見えない世界へは、何物も持って行けない。

 

姿形に意味は無く、

 

純粋なエネルギー体としてただ存在している。

 

そこに秘密は無く、

 

裸で歩いていると言えなくも無い。

 

この世では裸で生まれ、

 

この世の身に付けた常識を、

 

大抵は、

 

年老いて段々と、

 

欲と共に捨てていく。

 

幼児化や痴呆もその一つである。

 

多く持ちすぎると上がれないというのは、

 

心の持ち様による。

 

亡くなった時、燃やすのは、

 

それがこの世の欲を捨てるのに

 

必要だからである。

 

そして全てを置いて、向こう側で生き返る時、

 

何も失っていないと気付く。

 

向こう側に、

 

キリストや教祖様、神様に

 

話しかけてはいけないとか、

 

疑問をぶつけてはいけないとか、

 

同じテーブルにすらつけないとか、

 

そういった事は一切無い。

 

経験値の違いはあっても、

 

地球で過ごす意識体のかなりの方々が、

 

キリスト以上の力を持ち、

 

神様として過ごした経験を未来に持っている。

 

私たちは同時存在であり、高次元に

 

時間は存在し無い。

 

それがこの世ではある。

 

衣服で着飾るのは、

 

初期の文明社会のみである。

 

先に進むと、衣服はホログラムの様に、

 

必要な時だけ、思った時に変わる。

 

多少の個性はあるが、殆ど同じ物を着る。

 

物にはオーラがあり、

 

物は言葉なき言葉を発する。

 

身の回りの物を減らすと、

 

余分な雑音が入ってこなくなるが、

 

見えてはいけない物まで出て来る。

 

その為に、わざと、ある程度の物を置く。

 

この世で過ごすバランスは、

 

少し向こう側を信じつつ、

 

見え無い位が過ごしやすいと思う。

 

無理に見える様にすると、

 

奇抜な力が使える様になるかも知れ無いが、

 

夜中も構わず叩き起こされる生活になるので、

 

あまりお勧めしない。

 

そんな事をしなくとも、

 

意識体を見る事は出来る。

 

あなたを心の鏡で見れば良い。

 

そのバランスは、大きく変わり始めている。

 

一瞬でも同じあなたは居ない様に、

 

地球も一瞬でも同じだった事は無い。

 

今回は此処まで。