宇宙 スピリチュアル あの世とこの世を語る エンシェント

日常にあるあの世とこの世、スピリチュアルを伝えていく。

むやみに神社に柱を立てる事は、スピリチュアルのエゴに他なりません。

私はセレンディピティ

 

今回は、スピリチュアルの良心について、

 

お話し致しましょう。

 

見えない世界の殆どは、

 

この世では証明が難しい事柄が殆どです。

 

その為に、中には、バレなければ大丈夫、

 

見えない世界にルールは無い、

 

というスピリチュアルの人も、

 

実は少なくありません。

 

私は違いますと

 

思うかもしれませんが、

 

気付かずにしてしまう方も数多く居ます。

 

自分の中に浮き出た思いを、

 

直ぐに発してしまったり、

 

何でもかんでも手かざしで

 

治そうとしてしまったり、

 

(大抵このパターンでは効きません)

 

神社仏閣で、勝手に浄化を始めたり、

 

そんな場面に、

 

あったことは無いでしょうか?

 

私たちが見える世界で学ぶ事は、

 

ある程度の礼儀作法

 

(袈裟の色の事ではありません)

 

を学び、本当に必要な事を守る事も

 

大きな課題としてあります。

 

スピリチュアルは、

 

自分のエゴの表現方法ではありません。

 

最近は、

 

グーグルマップでスポットに対して

 

柱を立てようと、

 

想いを送る人も多いと聞きます。

 

想いは重いのです。

 

相手に押し付ければ、呪いに変わります。

 

普段、友人に対しての対応と、

 

見えない世界に対する対応を、

 

変える必要はありません。

 

見えない世界を、

 

神様を特別と思っているから、

 

違和感のある事を行ってしまうのです。

 

見えない世界は、思った通りの反応をします。

 

崇拝すればそうなります。

 

親友になれば、そうなります。

 

悪魔にすれば、そうなります。

 

見えないゴミを巻いている姿に、

 

参っている神様は少なくありません。

 

送受信のエネルギーには、

 

身分は関係ありません。

 

大切なのは、気持ちです。

 

神社での2令2拍手も、

 

本当は一切必要有りません。

 

ただ、それにより気持を切り替え、

 

エネルギーを送受信する、

 

その為の儀式で有り、

 

普段から心と体を掃除していれば、

 

自然にそうじゅしん(掃除神)

 

されます。

 

神社だけで手を合わせ、

 

そこだけ浄化しようとする様では、

 

まだまだ理解していません。

 

いかに現実の苦しい場面で、

 

同じ状態に出来るかに、

 

この世に来た課題があります。

 

今回は此処までで御座います。

 

またお会い致しましょう。