宇宙 スピリチュアル あの世とこの世を語る エンシェント

日常にあるあの世とこの世、スピリチュアルを伝えていく。

神社の秘仏は、なにもないことが重要

私はエンシェント。

 

今回は、神殿、社と秘仏について話そう。

 

皆、神社やお寺の秘仏を見たいと思う。

 

そしてその力にあやかりたい、そう思うのは人の常である。

 

人は、プラスとマイナスのせめぎあいと書いた。

 

それを確認に行くのが、神社やお寺である。

 

神様は役割によって別れており、

 

分社を回り回っている人も多く見かけるが、

 

それが全てではない。

 

神社は、入れない奥の領域には、基本なにもない。

 

秘仏は、たまにご開帳されるときはあるが、見れないのが基本である。

 

大切なのは、見れないことそのものが大切である。

 

神社やお寺は、最初からそうあったわけではない。

 

諸説はあるが、基本的に神社はその場所や自然、神話によりそこに建てられる。

 

お寺は心を見直す修業の場であるので、どこでも構わない傾向にある。

 

例えば、山を信仰する神社に、最初社などない。

 

神聖を感じ、思いの力、そして知恵遅れ(昔は文盲率も高い)の方にも

 

わかりやすいように、その何かに向かえば、山を信仰出来るようにした。

 

それが社の始まりであり、今もそれは変わっていない。

 

それが意味づけに意味を成すようになってしまい、

 

管理人が勘違いを起こすようになってしまった。

 

人が集まる所には、お金も理力も。良いものも悪いものもたくさん集まる。

 

逆にに言えば、今の自分のバランスを確認できれば、それはどこでも良い。

 

今すぐにここでも出来る。

 

神聖だと思ったら、そこに社がなくても、そうなのである。

 

 

古事記のさにしょ、天之御中主は、天の中の主と書く、

 

つまりは、空間定義である。何もない場所に空間を作った。

 

モーセの神が炎の中に現れたとき、

 

われはありてあるものであるというかたがつかわされた

 

という聖書の言葉は誤訳で、

 

本当の意味は、

 

バランスのバランスがわたしをつかわされた

 

が正しい。

 

われという意味を誤解して、heつまり彼を神にしてしまった。

 

そこから神は男性であるとの誤解がいまだに続いている。

 

バランスを取り、フラットから流れてくる思考が、心の導き手、心の声である。

 

それを昔は神様と言った。

 

今回はここまで。