宇宙 スピリチュアル あの世とこの世を語る エンシェント

日常にあるあの世とこの世、スピリチュアルを伝えていく。

対象への過度な期待は、時に暴走し、イメージと違うと、初期の愛は崩壊します。

私はセレンディピティ

 

今回は、愛の始まりについて、

 

お話し致しましょう。

 

愛について、これほど多く語られながら、

 

話せば話すほど、愛を叫べば叫ぶ程、

 

空虚になります。

 

愛にも色々あり、レベルが有ります。

 

全ては相似です。

 

愛の熱量は、燃え上がる程急落し、

 

次の段階へ行く時、

 

一瞬炎が消えたかに見えます。

 

しかし、本当はそうでは有りません。

 

愛は始まりに過ぎず、

 

悟りに近いパターンに入ると、

 

次の段階へ進んでいます。

 

若い時は好き好きを

 

全面に出しても良いですが、

 

段階が進むと、

 

そこまでしなくなります。

 

(精神的にも、性的にも、聖的にも同じです)

 

幼稚園児から、学びが進むにつれて、

 

小中高大学と進むのが普通です。

 

よく分からなかったり、

 

迷いが出る時は、

 

他の視点から見て見ると、理解が深まります。

 

一つを極めると、

 

全てが見えて来ると言われるのは、

 

その為です。

 

愛には力が有りますが、方向を間違えると、

 

とんでもない事をします。

 

アイドルのファンが好き過ぎて暴走する話は、

 

多いのですが、

 

宗教のファンが好き過ぎて暴走する話は、

 

なぜか美談、聖戦となってしまいます。

 

これらは基本同じで有り、

 

段階が浅く、

 

まだ愛について

 

(見えない世界、宗教について)

 

理解していないからです。

 

売り方にも問題が有るのです。

 

神聖、そして教祖様は全てお見通しで、

 

成人君主で、暴言も吐かず、

 

トイレにも行かない、

 

そんな事はあり得ないのですが、

 

初期の愛がそのままだと、

 

相手に幻滅してしまい、

 

ファンを辞める人々は、

 

本当の愛に辿り着いて居ないのです。

 

(宗教から抜けるのとはまた別です)

 

愛の段階も、

 

とても重要なこの世界での学びです。

 

愛こそ全てという内容は、

 

最大級を使った鎖でもあります。

 

その先へ行かせない(イカセナイ)為に、

 

その先を教えない(又は知らない)

 

のです。

 

原典の聖書には、

 

愛は始まりに過ぎないとあります。

 

此処から先は、知恵だったり、

 

物質欲を持ちながら超える必要があります。

 

修行で悟れないのは、籠った修行では、

 

愛憎に触れられず、

 

綺麗な面ばかり見てしまう為に、

 

悟った気になってしまうのです。

 

愛の学びに、優劣は有りません。

 

相手の方が深いとか、

 

立場や貧富の差で違いは出ず、

 

富と名声があるから愛が消えると言うのも、

 

本来は関係有りません。

 

(どれも手にする事は出来ます)

 

今此処に居ると言う事は、学びは順調です。

 

色々な湧き上がる想いを、

 

大切にして頂きたいと思います。

 

愛に迷ったら、置き換えも有効です。

 

生命は、増えも減りもしない。

 

生命は、自ら考えたりしない。

 

生命は、ただそこにある。

 

生命は、優劣を判断しない。

 

生命と愛は同じです。

 

置き換えです。愛や宗教について語ると、

 

冷静さを失います。

 

今回は此処までで御座います。

 

又お会い致しましょう。