物の一生と、私達の一生は、全く同じです。
私はセレンディピティ。
今回は、無くした物の探し方について、
お話し致しましょう。
この世に生きていると、
色々な出会いと別れがあります。
無くした物も、
お気に入りのネックレスもあれば、
お参りに切れた数珠、
記憶や物事、
果ては前世の記憶等、様々です。
基本的に、これらは全て同じです。
物事の大小は、
私達の勝手な解釈に過ぎません。
物事の別れに、偶然は有りません。
それがたとえ、毎日使っているスマホでも、
長年使った家電でも、
壊れたタイミングは重要なメッセージです。
物は交換すれば直りますが、
大切なのは、物の扱い方です。
日本では、
八百万の神様がいると言われています。
全ての物には、
見えない世界との繋がりがあります。
毎日、これをしないと落ち着かない、
新しく変えた歯ブラシが落ち着かない、
その視点に気付く事、それがこの世で生きる、
大切な事の一つです。
物は常に変化しています。
それがたとえ量産品でも、
使い始めると、
その人に合わせて変化します。
その人の想いや、その時の経験予定により、
今まで使っていた元素(幻想) に変化します。
類友は、身の回りの物も同じです。
常に掃除したり、
整理しなさいと言われるのは、
物の意思に影響を受けるからです。
逆に、影響を受けたい場合は、
それに近い物を置くと良いでしょう。
物事との縁が切れると、
故障したり、忘却へと至ります。
究極は、この星に生まれる事で、
忘却の膜を通り、
無い
を経験するという目的の為に
今此処に居ます。
思い出すには、心を静かにして、
冷静に思い浮かべます。
その時の心の動きで、
執着の度合いを図ります。
日を跨いだり、執着から離れると、
失せ物が出やすいのは、
無くした事そのものに意味があるからです。
故障や破損も、病と同じです。
卒業間近だったり、寿命だったり、
様々ですが、
壊れるからこそ、生命の儚さが有ります。
陶器は割れるからこそ、
粋(息)が生まれます。
プラスチックの器は便利ですが、
その心は軽いでしょう。
たとえ壊れても、
総量は増えも減りもしません。
これは、一生が終わっても、
また再生される、
私達と何ら変わり有りません。
今回は此処までで御座います。
またお会い致しましょう。